『春傍』あとがき(という名の言い訳)

やあ、なんだか文章を発表するのは本当に久しぶりでございます。
サイトの休止に伴い、何か一つくらい耐久性のある作品をUPしとこうと突然思い立って 休止予定日の前日から書き始めた間に合わせの色濃い短編です(汗)。
思い立ったはいいが、やはりキャラクターが適当に立ってきてる奴らじゃないとスピードアップはできん、と思い、 「花と風」では超脇役だった巌幽・賢幽親子でトライ。
ものすごい勢いであれもこれもと打っていたので、何が言いたいんだか良く分からない仕上がりになってます。 とりあえず舞台は三月、比鼓能がやたっちのところに行ってる間の一コマです。 あまり表立って言ってませんが、私はこの親子がかなり気に入っております。なんかかわいんだもん(自分で言うなよ)。
ええと、この三月、比鼓能が帰ってきて何日も経たないうちに巌幽は亡くなります。 多分この短編中、彼は片足と両腕ぐらい棺桶の中につっこんでる状態です。なのでなにやら昔の思い出が走馬燈のように 駆け抜けたり、一族のキリキリした状態を思いやることをちょっぴり放棄してる感がありますね。
巌幽は気性の大人しい、心の広い人物なので、京の人々から掌返されたように冷たくされても、謂われのない暴言を吐かれても、 それを恨みに思ったりせず、いつかはまた分かり合えると信じてるのです。…おっと、あまり文中に表現しなかった事を ここで書くと補足みたいでずるいな(^^;)
実際、この頃の竜川家は、勝手に失望されて文句を言われてハブにされてるというぐらいで、一族達の心痛も 京人によるものより、赤鬼からにょっきり生えてきたきっつぁんをどうしたらいいのかという悩みによるほうが断然大きいです。
もうちょっと後の時代になると、ほのぼのだった竜川家も色々と人間関係のトラブルやら人死にやら、ダークな様相を呈してくるのですが、 今のところは家族間は穏やかです。

表紙に入れた和歌は、菅公作の有名なものですね。多分ご存じの方も多いでしょう。 私はこの和歌が大変好きです。私の短歌の好みは内容や掛詞の妙とかではなくて(そもそもあまり読解できない)、読んだ時の爽快感というか、音の良さでして、 『東風吹かば〜』は、私的にベリーグッドなのです。
この歌、道真が太宰府に左遷される折に詠んだということで、自宅の梅の木に「俺がいなくなっても春を忘れずに咲くんだぞ」と語りかけてるわけですが、 なんとなく愛しい者と別れる時の歌にも聞こえるなぁと思ってお借りしてしまいました。
タイトルの「春傍(しゅんぼう)」は造語です。最初は「春を望む」の「春望」にしようとし、はた、と「春望」は杜甫の詩だと言うことを 思い出して止めたのでした(^^;)なんだか高校の授業をまざまざと思い出してしまった短編でした。

あらあら、あとがきなのになにやら長くなってしまいました…きっと夜更かししてハイになってるせいです(笑)。
兎も角も、ここまでお読み下さり有難うございました。

二〇〇四年卯月未明 二兎拝

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