花と風





序、

 ゆるく束ねた浅葱色の髪が、血に赤黒く染まってしまった。
 肉を切り、骨を絶つ感触が、切っ先から柄を伝って、ぞうぞうと背筋をなでてゆく。
 それでも、少女に迷いは無かった。

『一匹でも多く鬼をお斬り。そうしなければ生きられない』

 半月前に逝ってしまった母の、思いつめた言葉が頭をよぎる。
『鳥が魚を捕るように、狐が兎を狩るように、あたしたちは鬼を斬って生きるしかないの。お前たちの代で、きっとあの鬼を討つことができる。そうすれば、人並みに永らえて、穏やかに生きていくことができるんだ。そうして――――
“しあわせに。しあわせになっておくれ。お前も、お前の子供も、孫も、末永く――――
(生きるために、頑張らなくてはいけない。あたしは、あたしは約束したんだ、母さまに)
「ケェェェェェェ!」
 漆黒の羽根をはばたいて、敵が討ちかかってきた。少女はすんでのところでそれをかわし、逆にするどく打ち込んだ。敵も引かずに斬撃をあびせてくる。頬が、腕が、薄く裂けて朱がにじむ。
「比鼓!無理をするな!」
 隊の長が鋭くいさめる声が、耳の脇をすりぬける。言葉の意味を頭が理解するよりも、身体の動きのほうが速いのだ。
 持ち前の素早さで、少女は敵の懐に飛び込む。
「やぁぁぁぁッ!!」
 気合とともに繰り出した白刃は、相手の胴を横ざまに薙いだ。手ごたえ。思い切り踏み込んでいたため、返り血は避けられぬと覚悟した時。

 ――――キシッ――――

 小さな音とともに、敵の首にかかっていた朱色の首輪にひびが入った。次の瞬間少女が浴びたのは、ぬめる血潮などではなかった。
 少女が討ったカラス天狗は、身の内から目のくらむような光をほとばしらせた。
「きゃ………」
 突然の事に、目を閉じる事すらできず、少女の目は光にぬいとめられたままだ。光はやがて何かを形作りはじめる。まばゆいはずであるのに、ひとみが認識するのは夜半の空のごとき暗色であった。まばゆい黒は、やがて対の翼になり、深い淵のような色の髪になり、最後には黒衣を纏った長身痩躯の男の姿になった。
 男は、驚いて目を見はったまま動けずにいる少女に目を向け、不機嫌ともとれるような表情で言った。
「見事な腕だ……。が、お前の戦い方は少々あやういぞ。“永らえたい”と思うなら、改めるんだな」
――――え?」
(なぜ、あたしの考えていたことが―――
 何か問わなくては……そう思ったときには、男は再び光の帯に包まれ、ふっと掻き消えてしまった。
「比鼓、やったな!」
 気がつくと、いつの間にか鬼の一群を退治し終えた隊の者達が少女の肩をたたいたり、頭をなでたりしていた。
「おまえは朱の首輪で封印されていた神様を解き放ったんだよ。おそらくあのお方は、やたノ黒蝿という風の神だろう」
「………かみ、さま?」
 まだ混乱したまま、少女はおうむがえしにつぶやいた。
 足元には、ひびのはいった首輪だけが鈍く光っていた。



 *     *     *



一,

 京の外れの一角に、その屋敷は在った。
 貴族の御殿のようなきらびやかさはないが、落ち着いた美しい佇まいである。どっしりした門構えは幾年ものあいだ風雨に磨かれたものと見え、黒々と光っている。
 その門の前に今、四人の若者がたどり着いた。
「ふう、何とか無事に帰ってこれたわねぇ。皆お疲れさま。体調の悪い者はいる?」
 振り返ってそう言ったのは世にも珍しい浅葱色の髪をした女で、その四人の中では紅一点である。
 よく見れば他の者たちも不思議な色の髪をしており、しかもそのいでたちはみな勇ましい戦装束。口を利いた女も例外ではなく、白い手には六尺を軽く超す大薙刀が握られている。だが、それぞれの防具には大小のほころびができており、えものには血錆びが浮いていた。誰が見てもこの者達が激しい戦いを終えてきたことは明らかであった。
「比鼓能(ひこの)姉さんごめん。今回の討伐、油断して迷惑かけた…。自分が情けないよ」
 背に弓を背負った長身の男が、ふいに女に向かって言った。すると、あとの二人も悔しげな表情を浮かべて口を開く。
「ごめん比鼓姉…」
「俺も、助けてもらってばかりだった…」
 比鼓能と呼ばれた女は、おやおやというように目を丸くし、それから可笑しそうに笑い出した。あっけにとられている三人を順に見回して言う。
「何言ってるの、閃矢(せんし)も天陣丸(てんじんまる)も宝珠(ほうじゅ)も、善く戦っていたじゃないの。男が三人もそろってくよくよするものじゃないわ。それに大江山の戦いからこっち、鬼達が強くなっているのも事実だもの、苦戦を強いられて当然よ。悔やむくらいなら、次までにもっと腕を磨いて強くなって頂戴」
 そのさばけた態度につられて、三人にもようやく笑みが浮かんだ。
「さぁ、早く中に入りましょう。わたしもうくたくたなのよォ」
 比鼓能がそう言ったと同時に、四人が背にしていた屋敷の通用門が勢い良く開き、中から手桶と手ぬぐいを持った女がいきおいよく飛び出してきた。
「皆様おかえりなさいませ〜!そろそろだと思ってましたよゥ!」
「イツ花!ただいま」
 イツ花と呼ばれた女は、てきぱきと四人に手桶の水をつかわせ、手ぬぐいをわたす。
「そろいもそろってぼろぼろになっちゃってますね〜。ほんとお疲れ様でした。あ、天陣丸様、足もちゃんと拭いて下さいね!廊下がどろんこになっちゃうんですから。―――それで比鼓能様、戦果はいかがでございました?」
 その言葉に再び肩を落とす男達を見て笑い出しながら、比鼓能は応えた。
「まぁ―――上々といったところよ」
 一通り汚れを落とし終え、一同は門の中に消えた。
 門の中に住まう一族の姓は竜川(たつかわ)という。
 京を脅かす悪鬼妖魔と戦うことをさだめられた、破魔の一族である。今、彼らはかつて無い試練のただなかに在るのだった。



 竜川一族が、都に仇をなす鬼たちの頭目・朱点童子に大江山で決戦を挑み、かの鬼を仕留めたのは師走のことだった。
 竜川家は朱点童子に短命と種絶の呪いを受けている。そのため一族の者たちは、どんなにあがいても生まれてから三年目の季節を迎えることはできず、人との間に子をもうけることもできない。この忌まわしい呪いを解く為に、一族は神々と交わり子を成して血脈をつなぎ、朱点打倒を悲願としてきたのである。
 大江山の戦いは、竜川の者たちにとって最後の戦いとなるはずだった。しかし、事はそう上手くは運ばなかった。
 大江山の朱点童子を討つことにより、彼らはかの鬼の中に封じられていた真の朱点童子―――黄川人(きつと)を、解き放つことになってしまったのである。
 呪いは解けようはずもなく、一族の者たちはこれまでの戦いが単なる序章にすぎなかった事をいやというほど思い知ったのだった。放たれた黄川人の力はたちまちのうちに京の都全体を覆い尽くし、人々はさらなる脅威にさらされた。竜川家は息つく暇も無く新たな戦いに挑むことになってしまったのである。
 一族の者たちの表情に暗い影がさすのも、無理からぬことなのだった。
 が―――――
「こンの馬っ鹿共が!いつまで情けない顔をしてりゃ気がすむんだ!」
 鋭い一喝が、部屋中に響きわたった。
 竜川家の屋敷の大広間である。討伐から戻った四人は、身を清め、食事を摂った後、戦果を報告するために一族全員の待つ広間へ集まった。
 ひととおりの報告を終えた後の当主の言葉がこの一喝である。
「いつまでも甘ったれてんじゃないよ!こんなに立派ななりをして、まだ比鼓能に助けられなきゃ鬼の百匹も斬れんのか!そんなことで竜川の血をつないでいけると思うのか!!」
 当主はやおら上座から立ち上がると、帰還した四人に大またで歩み寄り、三人の男達の頭にすばやく拳骨をくらわせた。
 三人の横に座していた比鼓能は慌てて止めに入った。
「こ、紅牙(こうが)姉さま、もう勘弁してやってください!厳しい状況下であるということは、姉さまも先月の討伐に赴いた折にお分かりのはず。この者達は善戦いたしました。思うように戦果が出せなかった責は隊長である私にあります」
 初代・円(まどか)に始まり、竜川の当主は代々女である。現当主である紅牙は、歴代の中でも指折りの才気と激しい気性の持ち主だった。
 比鼓能のとりなしに溜め息をつくと、紅牙はその場に座り込んだ。
「あんたがそうやって甘やかすからこいつらがふやけるんじゃないか。いつまでもこの状況がつづいては、この先何年経ったって朱点の首は獲れないよ」
 その言葉に、比鼓能の隣にいた閃矢が進み出た。
「当主、お待ちください。このたびの至らなさは、おのれの心の弱さゆえと承知しております。比鼓能殿には何の責もございません」
 その言葉の後を閃矢の双子の弟である天陣丸が引き継ぐ。
「今後はこのようなことのなきよう、気を引き締めてかかるとお約束いたします」
「私も、精進いたします。すぐにも来月の討伐を御命じ下さりませ」
 最後に宝珠が手をついて言った。
 紅牙はだまってそれをきいていたが、こらえきれずに笑い出した。
「あっはっはっはっは……まったく!人気者だね比鼓能」
「はぁ?」
―――困ったもんだ」
 しばらく肩を震わせていた紅牙だったが、ふいに真顔になって四人を見渡し、口を開いた。
「状況が前にもまして厳しくなっていることはあたしも良く承知しているつもりだ。先月はこの身で直に味わった。新しく出現した鬼の巣窟だけでなく、これまで討伐を行った場所の鬼たちの力も増してきている。本懐をとげるのはもっと先―――あたし達が死んだずっと後のことになるだろう。だからといって、いま絶望している場合ではないんだ。絶望すれば隙を生んで、余計に命を危険にさらしてしまう。あたし達が絶えれば、その先も無い。だからつらくとも今は耐えて欲しいんだよ」
 一瞬、重い空気が部屋にいる全員の肩にのしかかった。
――――討伐ご苦労であった、さらなる精進を期待する!」
「はっ、お言葉有り難う存じます」
 四人は紅牙に向かって深々と礼をした。紅牙はうなずくと、表情から厳しさを消して言った。
「とまぁ、焚きつけた後で悪いんだが、弥生の討伐は休みだ。なまらぬように腕を磨いてほしい」
「えっ」
 拍子抜けした四人が同時に声を出したが、紅牙はかまわず立ち上がった。
「比鼓能、巌幽(がんゆう)、イツ花、あとで私の部屋に来てくれ。賢幽(けんゆう)は親父殿がちゃんと薬を飲んでからこちらに来るよう目を光らせること。他のものはゆっくりお休み。―――銀牙(ぎんが)、沙羅(しゃら)、戻るよ」
 当主が幼い娘二人を引き連れていってしまうと、比鼓能は首を傾げたが、思い直したように自分も退出した。イツ花は円座(わろうだ)と脇息を片付け始め、横に控えていた年若い賢幽は、近頃体調の思わしくない父・巌幽とともに部屋へ戻っていった。
 残った出陣組三人は、顔を見合わせた。
「休みだって。俺達別に体調悪くないのに―――。来月は朱点討伐隊選考の御前試合があるんじゃないか。出なくていいのか?」
「違うだろう、たぶん来月は交神を行うんだ。大江山からこっち、交神の儀をする余裕がなかったからな」
「交神?誰が?」
「誰って、それは――――
 目をかわし合ったままかたまってしまった三人にとどめを刺したのは、部屋の片付けを終えたイツ花の明るい声だった。
「そんなの順番から言って比鼓能様に決まってるじゃないですかぁ!比鼓能様ももう一歳、頃合ですよゥ。おめでたいですねぇ」
 男達が悲嘆の溜め息をついたことに、イツ花はまったく気づかなかった。




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